飛鳥・奈良時代から平安初期までは、仏教は国の政治の柱であり貴族の信仰でしたが、平安時代中期から最澄の天台宗、空海の真言宗が広まり、鎌倉時代前後からの法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗などが民衆の信仰として定着しました。 このように民衆の信仰の中で、人が死後に閻魔大王から裁きを受けるとき、地蔵菩薩に助けられ極楽へ行けるという信仰が生まれました。また子供が幼くして亡くなったとき、閻魔大王に親不孝をとがめられると地蔵菩薩が親代わりになって貰えると信じられ、また僧侶が地蔵菩薩の身代わりとして現世で信者を救うと信じられました。右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を持って街角や村の峠に立つ地蔵像に手を合わし、亡き子を助けて下さいと赤い「よだれかけ」をかける風習にもなりました。
旧柳生街道の清水通りには、鎌倉期の丈六の地蔵菩薩坐像を祀る福智院があり、近隣が集まって、護摩供養もある地蔵盆が盛大に行われます。奈良時代の僧玄ムが開いたと伝えられている福智院は、鎌倉期に西大寺の叡尊が再興し地蔵菩薩を祀ったと言われています。
高畑方向に上ってゆくと、通りのあちこちにお地蔵さまが祀られており、高畑から新薬師寺の境内に入ると最近整備された地蔵堂には灯が入り、格子越しに木造の地蔵菩薩が優しく迎えて下さいます。最近まであった石造のお地蔵さまは築地塀近くに移られました。また先年、木造のお地蔵さまを修理したとき、木の衣が外れて裸形のお地蔵さまが発見され、おたま地蔵と名づけられて祀られています。
ならまちの地蔵盆は7月23日ですが、元興寺極楽坊は月遅れの8月23日・24日に盛大に地蔵盆会が行われます。ならまちでは、7月23日の午後家々の軒先に提灯が飾られ、街角のお堂を飾って信者からのお供えが並び、ゴザを敷きテントを張って、年に一度の町内の懇親の場も出来上がります。夕刻には世話役が中心となって、お参りの町内衆でにぎやかな交流の輪ができます。
筒井順慶の菩提寺である、やすらぎの道沿いの伝香寺では、裸形木造のお地蔵さまの衣替えをする年に一度の行事が夕刻5時から始まり、そして日が沈む頃、幼稚園の運動場でもある境内で盆踊りが始まります。
ならまちの中心にある十輪院は、吉備真備 (きびのまきび)の子の魚養(なかい)が創建と云われ、めずらしい石仏龕に刻まれた地蔵菩薩がご本尊です。左側にお釈迦さま、右側に弥勒菩薩が刻まれ、その前にある引導石に死者のお棺を載せて引導をわたしたと聞きます。明かりに浮かぶお地蔵さまの優しいお顔を拝みたいとお参りが続く十輪院の地蔵盆です。
8月23・24日の元興寺極楽坊地蔵盆会
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